「災害大国・日本」で、歯科が担う社会的役割の一つに身元確認(個体識別)があります。
東日本大震災では、歯科所見と生前の歯科診療情報の照合が身元確認に有効であることが示されましたが、同時に「情報収集の困難さ」「標準化不足」「人的負担の大きさ」も浮き彫りになりました。
厚生労働省の検証報告でも、当時は歯科情報を医療機関から集めて電子化するなど、身元確認に膨大な時間と労力を要したこと、さらに津波被害で歯科診療情報そのものが流出・消失し、照合に必要な情報が得られない事例があったとされています。
私はこの課題に対して、開発しているパノラマエックス線画像AIを核に、歯科情報を「標準化」し「検索可能」にすることで、警察歯科(事件・身元不明遺体)や大規模災害(将来の南海トラフ等)での個体識別を、より迅速・確実にする仕組みづくりができると考えております。
なぜ「パノラマエックス線」なのか:1枚に凝縮された“客観情報”
パノラマエックス線画像には、
- 歯科疾患(う蝕、根尖病変等)
- 歯式(現在歯・欠損歯・補綴の状況)
- 歯槽骨の状態(歯周病の状態)
といった個人差が反映されやすい顎顔面領域の多くの情報が1枚に含まれています。
これらの情報を組み合わせると、個体識別に耐えうる“歯科データ”になります。

↑歯式AI

↑歯周病AI
パノラマエックス線画像は、
①歯科治療、②カルテ入力(P病名等)、③歯科健診(スクリーニング)、④お口年齢、⑤公衆衛生・疫学調査、⑥個体識別・身元確認などに幅広く活用できる客観的データです。
個体識別のボトルネックは「照合」:データはあっても探せない
東日本大震災の経験から、国は歯科情報の利活用を進め、「口腔診査情報標準コード仕様」を構築し、厚労省標準規格として認定しています。
従来の歯科診療情報の標準化は保険請求業務に軸足があり、身元確認に十分な粒度を持たず、行方不明者の情報を集めて電子化するのは難しい状況でした。
本質的な課題は、
- 生前データ(歯科医院のカルテ・X線)
- 死後データ(検視・解剖・歯科所見・死後画像)
が存在しても、短時間に候補を絞り込めない/標準化されていない/検索できないということです。
生前歯科情報と死後歯科情報を“同じ言語(標準コード)”に翻訳し、検索・照合可能にすることが鍵になります。

開発している「パノラマX線画像AI」:歯式AIが“検索エンジン”になる
私の取り組みは、臨床現場の「不(不便益・不効率・不正確)」から発想を得て、パノラマX線画像を用いたAI開発を2017年から継続しております。
初期は病変検出(う蝕、根尖病巣、根分岐部病変、顎骨嚢胞様透過像)する「歯科診断支援AI」から始め、「歯式AI」、「歯周病AI」、「歯科健診AI」、さらに「お口年齢AI」の開発もしました。
個体識別において特に重要なのが、「歯式AI」による識別項目です。
私は少なくとも次のような要素を“構造化データ”に落とし込むことが可能です。
- 現在歯(治療の有無は問わない)
- インプラント
- 欠損歯
- ポンティック(ブリッジの欠損部)
この4つの状態を、智歯を含む32歯で考えると、単純化してもその組み合わせ数は、
4^32 (4の32乗)= 1.84×10^19 (10の19乗)通りという天文学的な数字になります。
もちろん、現実には左右差、補綴形態、治療の痕跡、金属・セラミック、骨吸収パターンなども加わるため、歯科情報は「個人差の塊」と言えます。
だからこそ、AIで“検索可能な歯式データ”に変換できれば、候補者絞り込みの威力が大きくなると考えられます。
現実的なワークフロー:「標準化 → 照合検索 → 人が最終判断」
個体識別は、AIが「断定」するのではなく、現場の運用としては次の形が最も現実的です。
- 生前データを標準化
パノラマ画像をAIで解析し、歯式を構造化(標準コード仕様にマッピング) - 死後データを標準化
検視時の歯科所見/死後画像(デンタル・パノラマ相当、あるいはCT由来画像)を同じ形式へ - 照合検索で候補を上位提示
「多数の対象から候補を数%まで絞る」 - 歯科医師が最終鑑定
候補上位に対して、補綴物の詳細、治療痕、骨形態などを総合して最終判断
多数の対照からAIを活用して「候補を数%までに絞り込む」ことで、照合にかかる時間が大幅に短縮できると考えられます。
大規模災害(南海トラフ地震など)で何が変わるのか
東日本大震災では、約2,600人の歯科医師が約8,750体の歯科所見を採取し、1,250人の身元が歯科所見から判明した一方で、作業には多大な時間と労力を要しました。
近い将来予測される南海トラフ大地震では犠牲者が東日本大震災の約20倍となる可能性があり、身元確認の大幅な効率化・迅速化が必要とも言われています。
さらに、コロナ禍を踏まえた議論として、災害時身元確認における「分散・遠隔化」の必要性も指摘されています。南海トラフ等を念頭に、県境を越えた人的支援や被災地での密回避が課題となり、今後は遠隔化が必要になると考えられます。
AI活用のメリット
- 現場(被災地):死後データを収集・標準化してアップロード
- 後方支援(全国):生前データベースに対して照合検索し、候補提示
- 専門家:候補上位から最終鑑定へ
つまり、「現場に集約」するのではなく、データと標準化で全国どこからでも協力できるようになります。
最後に
個体識別は、平時は目立ちにくい一方で、非常時には「社会の根幹」を支えるインフラです。
そして私は、これを災害時だけではなく、平時から回る仕組みにしたいと考えています。
- 歯科医院で日常的に撮影されるパノラマエックス線画像のデータをAIで歯式データ化
- 標準コードへマッピングして蓄積
- 災害・事件時に、照合検索で候補を迅速提示
- 最終判断は歯科医師が担保
これらが出来た際は、次の焦点として、歯科健診・公衆衛生・疫学調査・大規模データ活用に接続しながら、「身元確認にも使える歯科情報の標準化と検索」として機能させていくべきと考えています。
最後に、我々が開発してきたAIシステムが、この分野にも応用できれば嬉しいと思っております。
研究者、大学関係者、歯科医師会、自治体関係者、ご関心のある企業の方々、興味がございましたらご連絡頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。
参考資料
開発担当者:
葵会グループ 統括本部 DX戦略部長
AOI国際病院 歯科口腔外科 部長
医療創生大学 歯科衛生専門学校 校長
田島聖士
【取得済の特許】
特許番号:特許第6830082号、名称:歯科分析システムおよび歯科分析X線システム
【参考文献】
・田島聖士, 園田央亙ら: パノラマエックス線画像における根分岐部病変を自動検出するAIモデルの開発. 日本歯周病学会誌, 2021.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/perio/63/3/63_119/_article/-char/ja
・Satoshi Tajima, Yoshiyuki Okamoto, et al. : Development of an automatic detection model using artificial intelligence for the detection of cyst-like radiolucent lesions of the jaws on panoramic radiographs with small training datasets. Journal of Oral and Maxillofacial Surgery, Medicine, and Pathology, 2022
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S2212555822000345?dgcid=author
・歯科情報の利活用推進事業(歯科診療情報による身元確認のためのデータベースに関する検証等)に係る検証事業一式. 厚生労働省.




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